第三同志会趣意書

世に、不必要なもの、必要を説き得ないものは存続することが出来ない。

地域社会から見放されてしまった寺院、宗教的信念のない単なる葬式、法事屋になってしまった僧侶では寺院の存在意識は認められず、宗教そのものの必要をも説き得ないであろう。どうにか基盤の出来ている寺院の現状にとじこもり、寺檀関係に波風たてずに、何んとか家族生活だけを満足させてゆこうとする安易な態度、その生活は完全に俗化し、坐禅、勤行はもとより、合掌の生活すら忘れてしまっている。こんなことでよいのだろうか。

 

時代の流れはあまりにも急激で、うっかりすればおぼれること必定だ。

寺院経済の逼迫を理由に布教活動を軽視し、またその財豊かなれば私有として浪費し、あげくのはてにはみにくき権力争いの渦にまきこまれてゆく。

 

吾々青年僧侶は常に道心堅固にして、中正な立場で宗門の将来に対処しなければならない。しかし、この現実に矛盾を感じて、ある者は寺を離れ、ある者はその意気を失って安易な寺院生活におちこんでゆく・・・・・・吾々青年僧侶に与えられた課題はあまりにも大きい。

 

一人矛盾に悩んでいる時ではない。同志相寄り、親睦に、研修に、切磋琢磨の精進努力、和合の力を発揮して時代に処し、生き生きとした布教活動を展開しようではないか。

 

昭和50年度第三同志会総会案内より抜粋

1970年(昭和45年)の同志会創立時に作成されたと思われます